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プロフィール

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多田佳子(ただよしこ)

 

生誕~小学4年生

愛媛県出身。

「伊予の小京都」と言われ、ドラマ「東京ラブストーリー」のロケ地にもなった大洲市という、山に囲まれた自然豊かな町に産まれ、育ちました。大阪で音楽の教員をやっていた叔母が地元に帰ってくるタイミングで、叔母の初めての生徒として3才からピアノを習い始めました。産まれた時から自宅にピアノがあったこと、ビートルズ好きの父と元幼稚園教諭の母、家庭の中にはいつも音楽があり、そしてピアノは生活の一部となりました。レッスンの後はいとこと遊べる事、教本も順調に進んだこと、ピアノが嫌になる要素は一つもなく家での練習も練習と感じたことはありませんでした。起きる→ピアノ→ご飯→ピアノ→帰宅→ピアノの日々。毎朝、弟とピアノの取り合いをしていたことを覚えています。

 

小学5年生~6年生(バスケに熱中)

小学校低学年の頃は引っ越しもありましたがレッスンにはバスで通い、ここでも辞めたい、続けるのは難しい、と思った事は一度もありませんでした。そんな中友達に誘われ5年生の春、ミニバスケットボール部に入りました。やる気のあるメンバーがそろっていた事、6年生になるタイミングで体育大卒の若い先生に指導を受けることになり、チームはどんどん強くなり、私は完全にバスケにのめり込んでいきました。またバスケ部は夏は水泳、秋は陸上、冬はマラソンに借り出され、並行してブラスバンド部で小太鼓も担当していたので大忙し。真っ黒でガリガリのショートカット。見た目はピアノとは無縁の様でしたが、ピアノの練習はかかさず、レッスンもしっかり通っていました。

 

チームは全国大会出場を目指せる位置までのぼりつめましたが、最後の県大会でベスト4。夢は叶いませんでしたが『このメンバーで中学では絶対全国に行こう!!』そう固く誓い、夢の続きは中学に持ち越しとなりました。


 

中学校時代(続バスケに熱中)

中学でも朝から晩まで練習、土日は試合とバスケ漬けの日々でした。『水は飲むな』のザ・昭和の体制。今では一発アウトであろう厳しい指導もありました。当然ながら勉強やピアノは疎かになりそんな私を母は良く思っていませんでした。「バスケなんかやっても将来何の役にも立たない」「勉強しなさい」と毎晩叱責され、反抗期を迎えていた私の反発はどんどん激しくなりました。またピアノのレッスンも、一夜漬けの練習はすぐにばれて怒られてばかり、楽譜が宙を舞うことも日常茶飯事でした。

中学での戦績は、『新人戦県2位』と新聞に取り上げられるほどの好発進をしたものの、最後の県大会はベスト16、またも夢は叶いませんでした。チームのメンバーが特待や推薦でバスケ強豪高校へ進学を決める中、私の両親はそれを絶対に許してくれず、自宅から徒歩3分の県立進学校に行きなさい、これのみでした。絶対親の言いなりになりたくない私。そこで考えたのが済美高校の音楽科でした。ピアノでの進学なら認めてくれる!という事と、済美高校は当時西日本1のマンモス女子高、部活も盛んでバスケ部も強かったので、音楽科に通いながらバスケ部に入ってやろう!と目論んでいたのです。部活引退後、ブランクを取り戻すべく必死に練習し、声楽、ソルフェージュも習得、そして愛媛県唯一音楽科のある高校、済美高校への進学が決まりました。

 

高校生時代(バスケ少女から音楽家への転身)

意気揚々と入学した初日、音楽科の先生に「バスケ部に入りたい。」と言ったところ、「そんな時間があるなら練習しなさい!」と一刀両断!!私のバスケの道は一瞬にして閉ざされました。引退してから半年経ちバスケ熱も多少薄まっていたせいなのか、音楽科に進む事をかっこいい!と言われいい気になっていたせいか、意外にもあっさり受け止める事ができ『私は音楽でやっていく』初日に心は決まりました。後に聞いた話しですが、私の目論見、音楽科の生徒は部活をやってはいけない事、全て母は知っていたようです。

 

そして昔ながらのハイフィンガーをごり押しするピアノの先生、どんな曲も暗譜ができていないとレッスンしてくれない声楽の先生、が私の担当となり本格的な音楽の道が始まりました。

 

またクラスは本当に賑やかで、気の合ったメンバーにも恵まれ、「こんなクラス、音楽科始まって以来よ!!」と言われるくらいでした。その騒がしい中心にいたのは、紛れもなくこの私でした。

 

高校2年生の時、ピアノではこのクラスで1位になれないと感じ、専攻は声楽に転向。大学も声楽で進むことを決めました。ここでも地元国立大学に行きなさいと決めつける母とのバトルが始まりましたが、音楽科の先生の勧めと説得で高校2年生の夏から月1で東京にレッスンに通わせてもらう事に。そして「卒業後は愛媛に帰って学校の先生になる」という条件で、東京音楽大学声楽科への進学が決まりました。

 

大学時代

寮に入り、あんなに騒がしかった私は標準語が全く喋れず、1週間無口でした。しかしそんなものはすぐに慣れ、どんどん都会の空気に染まっていきました。当時、東京音大にはバスケ部があったので3年振りにバスケを再開することになりました。3年生のときには部長も務め、「美大音大リーグ」などにも出場し、声楽科だけではなく管弦作曲、先輩後輩OBとたくさんの仲間ができました。

 

当時、声楽の門下の先輩に、藤原歌劇団で大活躍しているオペラ歌手の方がいました。親との約束を忘れたわけではありませんでしたが、大学卒業後はその方が所属する藤原歌劇団に入り、オペラ歌手になることが私の夢となりました。

 

藤原歌劇団研究生時代

この頃になると、両親も「私のやりたい事を、やりたいように」させてくれるようになりました。研究生2年目にイタリア研修があり、そこで私は音楽において初めての挫折を味わいました。現地のイタリア人先生に「あなたは日本で何をやってきたの?」「これではスタートラインにも立てないわよ。」夢見た世界と自分の立っている位置があまりにも違いすぎる現実を知りました。日本の授業でも、タイトルロールのようなプリマドンナの役はいただけず、いつも脇役でした。成績もふるわず、最後のマスターコースに進むことは許されませんでした。落第を言い渡された日、ショックは大きかったですが、でも何か吹っ切れた気持ちにもなりました。高校2年生からお世話になった先生を離れる決断ができたからです。それから新しい師匠の元、1年間発声を作り直し、再度研究生に入り直しました。「1度挫折を知った人間は強いわよ。」戻ってきた私にかけてくれた研究所の先生の言葉は今でも忘れません。2度目はマスターコースにも進むことができ、最終的に半数も残れない藤原歌劇団の団員にも残ることができました。落第した時に藤原を去る同期もいましたが、負けても負けても這い上がる精神はバスケットで培われた力だと思います。

 

雇われ教室講師&専門学校非常勤講師時代

年齢は27歳になっていました。研究生時代から努めていた表参道の音楽教室でのヴォイストレーナーを継続、それから渋谷の東京スクールオブミュージック&ダンス専門学校(通称TSM)にて非常勤講師を始め、私の講師としての人生が本格スタートしました。個人レッスンは慣れていましたが、1クラス40名、90分のヴォイトレ授業はとてもやりがいがありました。高校卒業したての18歳から社会人経験を経た年上の男性、留学生、様々な学生が在籍しており、この専門学校での経験は「この先、どんな生徒さんが来ても大丈夫!!」と思わせるくらい、私を本当に強くしてくれました。

 

結婚&出産&自宅教室開講

28歳で結婚。30歳で現在の自宅教室を開講しました。「音楽を愛する子どもを一人でも多く輩出したい」「ピアノだけでなく、音楽そのものの楽しさを教える」という想いから「ただよしこピアノ教室」ではなく「ただよしこ音楽教室」と教室名を決めました。また子供を授かれない期間が長かったため「生徒さんが全員私の子ども」と思い、愛情を持って接しました。その思いは我が子を授かった今も変わりません。

33歳で出産し、講師業は自宅1本に。産休は2ヵ月だけと決め、まだ首も座っていない息子を保育園に預け、レッスン途中に搾乳もしながら20時までレッスン、20時半お迎え。とにかくレッスンが楽しくて楽しくて必死に走り続け16年。お陰様で10年以上満席で、常にキャンセル待ちの続く教室を運営してきました。発表会は今年で14回目。指導した生徒さんは延べ400名以上です。

 

息子のこと&現在

奇しくも縁があり、息子(中2)もバスケットをやっています。彼は小6の時、私が叶えられなかった「県1位」「全国大会出場」を決めました。『コツコツ毎日練習を重ねることの大切さ』『本気で思い続ければ必ず夢は叶うということ』そして何より『最後までやり切る力!』を親子で学びました。中学生になった彼ですが初めての定期テストの朝、「お母さん、俺はやり切ったから何点でも悔いはないよ」こう言い放って学校に行きました。

 

『最後までやり切る力』この力は人生どんなシーンにおいても役立ちます。『1つの曲を完成させる力』『最後まで弾き切る力』『コツコツと練習を積み上げる大切さ』『舞台を完結させる力』

ピアノ、音楽も全く同じだと思います。私は今、この『やり切る力』をピアノのレッスンを通して生徒さんに身に付けたい!そう強く思っています。

 

演奏活動&イベント出演

・船橋市より委託された親子コンサート、スプリングコンサート、クリスマスコンサートを開催(13年連続)

・ママハピEXPO ららぽーと東京ベイイベント出演(5年連続出演)

・三井不動産レジデンシャル委託 すまいloop ロビーコンサート(1都3県20拠点にて開催)

・藤原歌劇団修了オペラ「ポッペアの戴冠」ドゥルジッラ役

・都内各所にてジョイントコンサート開催

・南海放送、愛媛新聞社主催 愛媛県人演奏会出演

・ソロリサイタル開催(2回)

・木の実幼稚園 親学セミナーコンサート出演

・ナーサリー保育園 クリスマスコンサート出演

・Passo novita ディナーコンサート開催 

 

など、各種イベント、コンサートに多数出演。

 

生徒さんの進学先

東京音楽大学、洗足学園音楽大学、劇団四季研究生、一橋大学、筑波大学、学習院大学、県立千葉高校、県立船橋高校、東葛飾高校、麻布中学校、桜蔭中学校、渋谷教育学園幕張中学校、昭和学院秀英中学校など有名校多数。

 

保護者様からのお声

★在籍2年 小1&小3男の子ママ

『家の練習ではうまく弾けなかった部分がレッスン後に確実に上手になっているので、驚いています。他の教室に数年通っても楽譜が読めなかったのに、ここではあっという間に読めるようになって驚いて、感謝です!先生はアドバイスが的確、サバサバして芯がブレない印象です。』

 

★在籍4年 小3女の子ママ

『他の習い事は続かない中、こちらのピアノ教室だけは大好きで続けています。マイペースな娘にいつも気持ちの良い接し方をしていただき、また娘の事を信じてくださっている事が伝わり嬉しいです。親切、丁寧で何の心配もせずに通わせていただいています。』

 

★在籍半年 小1女の子ママ

『ご近所さんの口コミの良さから、こちらの教室に決めました。歌の歌える教室で、毎回レッスンに行くのが楽しみなようです。先生は優しくて話しやすくて、いつも子どもに寄り添ってくださるので、頼りにしています。』

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